世界遺産 The world heritage  稲作民俗の源流

釈尊の聖地を巡礼  仏陀遺跡     

仏跡巡礼四大聖地          __ 小泉芳孝 __                  
       
インドと言えば釈尊の国で、仏教が誕生した所である。
しかし、その仏教遺跡がインドのどこにも見られるとはかぎらない。
ほとんどはヒンズー教の女神やシバ神そのもののリンガがほとんどである。

     

釈尊(ブッダ)がたどった仏跡巡礼地は、「四大聖地」としてルンビニ(生誕地)・ブッダガヤ
(成道の地)・サールナート(初転法輪の地)・クシーナガラ(涅槃の地)がある。
また、これにラージギル(王舎城の竹林精舎)・ヴァイシャリー(広厳城)・シュラーバスティー
(舎衛城の祇園精舎)・サンカーシャを加えた「八大仏跡地」がある。
私は,このおもな仏跡地をこのほど一人で巡ってきた。以下は、その記録である。
お釈迦さんが生まれた「ルンビニ園」は、現在チベットになっていてマーヤ堂の中に、
右手を天井に上げ、左手を天下に挿した「太子の像」が保存されている。

お釈迦さんが生まれたルンビニ園の「太子の像

 お釈迦様の右手は顔の高さまで掲げられ、親指と人差し指で丸いわっぱを作っています。
これは「お釈迦様が苦しみの淵や悩みの淵に落ち込んでいる私達を救い出してくれる」ということを
表しています。つまり、お釈迦様は、右手の親指と人差し指を使って、苦しんでいる人間、悩んでいる
人間を救ってくださるのです。


祇園精舎跡

祇園精舎跡は、現在レンガ積みの遺跡があるだけで建物などは何も残っておらず、
日本人が建てた「祇園精舎の鐘」があり、また関西大学の網干教授が発掘した沐浴場
井戸が発掘されている。
このほか、中国寺院の一角に瞑想場として「三味堂」が設置されている。

祇園精舎の鐘(日本人が寄進)


ナーランダ大学跡は、紀元前から仏教研究の場所として栄えたところであるが、
12世紀にイスラム軍団により廃墟となった。
ここは密教が盛んな所で降三世明王や不動明王などの像が保存されている。

ナーランダ大学跡


ブッダガヤ

ブッダガヤは、大変交通の不便な場所にあり、日本から2日かかる。
ここは、インドの中で一番仏教そのものが残っている場所である。
ここには、日本妙法寺や大きな大仏があり、また日本語が通じる所でもある。
大菩提寺本堂の裏には、釈尊降魔成道の「金剛宝座」がある。
この金剛宝座横には,紀元前一世紀の仏足石があり、また金剛菩提樹の
大木が繁っている。
現在これらの建物が残っているのは,イスラム軍団がこの地を滅ぼす前に、
土を盛って小高い丘として埋めたため残った。
その後、最近になって発掘されたもので、当時の人達の仏教に対する思いが、
これら仏教遺跡を見るとき私の心に伝わって来る。

ブッダガヤの大塔前にて

上記の写真は、ブッダガヤ大菩提寺(マハボーディ寺院)本堂の裏にある
金剛宝座」である。
 ここは現在近ずけないように柵が取り付けられてしまった。
オーム真理教の麻原氏が許可なく仏陀の修行した場所に座ったから?の
ようです。
 上記の写真は、現地の修行僧の許可をえて取らせて頂いた。また、
マハボーディ寺院では、修行僧と一緒に数時間にわたり修行させて頂いた。
この地は、インド唯一の本当の生きた仏教が見られる場所である。
 インドで仏教を見るためには、ここにこないと見られません。しかし、ここまで
たどり着くには相当の覚悟がないと来る事ができません。その理由は、
ここに来て初めて解かることです。言葉では表現できません・・・

ブッダの仏足石(拓本)

ブッダガヤ・大塔前の夕景

仏陀とは仏教とは・・・

仏教は、インドにおいて宗教としての生命力を現在失いつつある。この仏陀発祥の地
インドでは、既にヒンズー教とイスラム教に呑み込まれてしまった。
 現地の人に尋ねると仏教は、ヒンズー教の中にあるという。つまりインドの仏教は、
日本の密教の中に見られるのである。ではヒンズー教の何処に仏教があるのかである。
インド滞在中ずっと考えていたが、すっきりしない。
 日本の密教である東寺や大覚寺などには、五大明王像がいてこの像がどうやら
ヒンズー教のシバ神などの女神と同じようであることがわかってきた。
 中国においては、シルクロードの敦煌壁画を見ていると、まさに日本の仏教が見えてくる。
宇治の平等院の天女や仏像、東大寺の大仏など日本の仏教がここにある。
 ネパールにおいては、ネパール仏教があるが、日本の佛教と少し違う。しかし、
純粋の仏教であっても、観音さんがいてヒンズー教の女神もいるという不思議な仏教である。
また、チベット仏教寺院も沢山在り、ここは、日本の仏教とは、まるでちがう。まさに
チベット仏教そのものである。時間があれば、僧院へ上がらせてもらって見学すればよい。
日本人なら気軽にいれてくれる。ここには、チベットから沢山の人々が来ていて人々の厚い
信仰心をかいま見ることができる。

ブッダガヤのホテル売店にて(数珠専門店)

ブッダがスジャータ村の娘から乳粥の供養をうけた場所は,ブッダガヤ近くにあり、
そこにはその姿を描いた像が地元の人達により保存されている。

ブッダが乳粥の供養をうけたスジャータ村

 上記の場所を探すのに2日かかってしまい大変苦労しました。観光客はここまで
こないようなので、現地の人はここを知りませんでした。
 暑い炎天下の中、私は、ふらふらしながら歩き迷いに迷ったあげく近くで農作
業をしている人に尋ねながらたどり着きました。ブッダがこの場所で現地の女性に
乳粥の供養をうけた状況が、ここに来てようやくわかりました。
 ここまでくる人はさすがに珍しいのか、周囲の犬゛にわめき立てられ噛まれそうに
なりました。しかし、この犬の泣き声で管理している人が遠くから駆つけてくれたので
助かりました。そして、スジャータ村でブッダが乳粥をほどこしてもらった場所を尋ねると、
扉のカギを取りに戻ってくださいました。

ブッダガヤの大仏


バナーラシー

バナーラシーは、ガンジス川の沐浴場で有名ですが、ここはヒンズー教の聖地で、
仏教そのもは見られない。
特に火葬が行われているマニカルニカ・ガード付近は、何故か殺気立っていて、
我々日本人が近ずくには大変危険な場所である。けっして一人で行かないほう
がよい。必ずグループで見学するか、船に乗って観光した方が良いようです。
 このバナーラシーは、最近色々トラブルが発生しているようで、路上には,銃を
かまえた警察官が多数待機している。また大通りには、リキシャや三輪オートバイ
が行きかい、ガンジス川沿いの沐浴場やガートには、チップを目的の臨時のガイド
が次々に声をかけて来るのでゆっくりと見学することが出来ない。また、周辺の
細い路地は、くねっているので道に迷ってしまう。私も道に迷ってしまい足が動か
なくなったので小さなヒンズー教の寺院の影で休憩して休んだあと、リク車のお世
話になって元いた所まで送ってもらった。彼らは、英語は通じないし、地図を広げて
ここへ云ってくれと地図を指さしても見方が解からないのか、大変手間取った。

バナーラシーの沐浴(ガンジス川)

ヴナーラシーは、ガンジス川(ガンガー)の左岸に広がるヒンズー教最高の聖地デス。
この聖なるガンジス川の水を浴びようと、連日インド各地から大勢の老若男女の
巡礼者たちが集まってきます。
 私は、ブッダガヤからこの町に着いた午後、早速リキ車に乗ってガンジス川の岸辺に
あるヴナーラシーへやってきた。
すると数人の少年が近づいてきて「ボート・ボート、案内・案内?」言葉がわからない
のでどうやら「ボート」の呼び込みのようだったので「ノーノー」と手を振ったが後ろに
ついてきた。彼らの狙いは、案内のチップを要求する(仲介料)で生活をしているので
あった。断り続けてもひつこくつきまとう彼らを無視して歩くが「ボート・ボート」と実に
うるさい。私の「トゥモローモーニング・ボート」であきらめたのか立ち去った。しかし、
また次に13歳ぐらいの少年がやってきた。
ゆっくり見学出来なかったので「うるさい」と日本語でさけぶとバツの悪そうな笑みを
浮かべて立ち去った。
 この町は、我々日本人には理解出来ない殺気だった何か不思議な存在感のある
不気味な街である。
 私は、ブッダガヤを朝早く薄暗い内に出発して車で約9時間程かけヴナーラシーに
やってきた。途中には、バスとトラックの運転手が道路のど真中に車を止めて大喧嘩
していて1時間ほど車が全然動かなかったり、長い川のど真中で大型トラックの車軸が
折れて道路をふさぎ完全麻痺して動かなかったりしていた。しかし、乗用車だけは、
隙間を利用して左右に曲がりながらも少しずつ通過できていたので助かった。バスだっ
たら何時ヴナーラシーに到着できたかわからない。荷物を満載し車軸が折れて斜めに
傾いた大型トラックの運転手は、橋の上でただ頭を抱えてうずくまっているのみで、周り
の大型バスやマイクロバスそれに大型トラックの運転手も2キロにも及ぶ橋上では手の
うちようがないといつた表情であった。
 ヴナーラシーに着いたた後、早速猛暑のなか沐浴場とマニカルニカ・ガード付近などを
回り周辺を見学した後、ヒンドゥー教寺院の入り口に不思議なリンガを見つけ写真を撮っ
ていると、年配の信者が近づいてきた。しばらく私は、その人を無視していたが、その内
私が薄暗いヒンドゥー教寺院の中を覗いると「中に案内しょう?」とヒンドうー語で何か
手招きをして誘われた。
 インドでは、ヒンドゥー教の信者以外は寺院の中に入れないことを知っていたので、
まさか入れるとは思っていなかったのでちゅうちょしたが「これはチャンス!」だと判断して
勇気を出して「カメラはOKか?」といつもしているジェスチャーで聞いてみた。そうしたら
手で駄目駄目と言ったので写真は撮らずに中に入っていった。寺院の中は、薄暗くてし
ばらくしないと中の様子が見えてこず、数人の信者が横たわっていて何か異様で不気味
な雰囲気で身震いするような雰囲気であった。
奥の少し明るい所には、ヒンドゥー教の神々があってその像の前にローソクや油の灯明が
灯っていた。私には理解の出来ない空間であり何か死臭が漂っていたような場所だつた
ので、たぶん「あの世に旅立つ直前の人達が過ごしていた所だった」のではと思われる。
 ホテルへ帰るリク車から眺めたヴナーラシーの街は、生と死が入り混じったヒンズー教
独特の複雑な表情を見せていた。

 ガンガーのほとりにあるガート(沐浴場)は、ヴナーラシーに数十のガートが存在し階層に
よって利用者が異なる。
 南方のアッシーガートは、老いた女性の姿が目立ち鮮やかな緑色のサリーを身につけた
女がいてガンガーの水でからだ
を清め対岸に向かって手を合わせる。そして銀器にガンガーの水を汲んで少しずつ垂らす。
それを何度も何度も繰り返す。
朝日が対岸から顔を出すと、あたりが赤く染まり神秘的な色合いを見せる。朝日に反射した
水面が黄金色に輝き川の中へ頭の先までガンガーの水に浸る。朝日に向かって一心に祈る
老若男女の姿は、昔から変わらない日常の営みが持つ「重み」を感じる。今後ヴナーラシーに
訪れる観光客がどのように変わろうとも、決して変わらない人間の最後の姿をここで見届ける
ことが出来ることであろう。
 ガートは思い思いの格好で沐浴する老若男女でいつものようにごった返している。両手に
取ったガンガーの水を朝日に向かって撒いている老人。長い間目を閉じて微動だにしない
若者など祈りの姿は色々である。
 
 ガンジス川沿いには、二つの火葬場がある。北の「マニカルニカー・ガート」は大規模で
観光客の姿も多いので、火葬の様子をゆっくりと眺めることはできないが、南の「ハリシュ
チャンドラ・ガート」の方は、長い時間見ていても文句を言われることは少ない。
 遺体は竹で組んだ担架に乗せられ、親族らに担がれて焼き場に運ばれる。黄色の布に覆
われた遺体は、まずガンガーの中に浸されて清められる。その間に、焼き場の準備が整え
られ薪で組んだ上に遺体を載せる。そして薪に点がつけられる。
やがて死体が炎に包まれると煙と灰が風向きによって焦げる匂いがただよってくる。でも、
香木を混ぜているのか匂いがしない。しばらくすると牛が、遺体を飾っていた黄色い花を食べ
にやってくる。死体が燃え尽きるまで一時間半から二時間ほどで薪が全て燃えると川の水を
かけ火を消し骨を火箸で拾い上げたあと、他の遺骨などはガンガーへ流す。
 ヴナーラシーの火葬場は、ヒンドゥー教徒にとって最大の聖地であり、ここで焼かれガンガー
に流すと、現世の罪は洗い流され、輪廻の苦しみから抜け出すことができると信じられている。
 ガンガー沿いを歩いていると、「ボートに乗らないか?」とか、「ハッシシを買わないか?」だ
とか声を掛けられる。
そのしつこさは旅行者が訪れることのできる聖地には付き物である。


インドの牛は大切!

インドの牛は、バラナシーの街中をはじめ交差点の真ん中や駅のホームにもノソノソと歩き回ったり
寝そべっています。また路地の裏通りに入ると、そこにも牛が寝そべっていたりと いうように至る
所で出くわします。
インド人が牛を大切にするのは、牛は聖なる動物であり、ヒンズー教の神シバの乗物だからです。
街中にいる牛を見て、汚い臭いなど言わずにしてくださいね?
 ヒンドゥー教徒の三大聖地の一つ、バラナシーを流れるガンジス河(ガンガー)の右岸には60
ものガート群が連なっています。
 そこで皆さんにお教えいただきたいのですが、バラ−ナシーのガート付近の火葬場付近に牛が
沢山いるのは何故なのでしょうか?牛は、時々川の中から上がって来て周囲をウロウロしています。

 川沿いの町へ通ずる路地を歩いていると死体を載せた担架とすれちがうことがあります。
路地は複雑で迷路となっていて大変不気味な所です。一人ではけっして歩かないで下さい。
私は、地図を見ながら歩いていたもりでしたが、道に迷ってしまいリキシャのお世話になり目的の
所まで行くことが出来ました。
 翌日一応ボートに乗って沐浴を見に行きましたが、川は比較的綺麗でした。数年前までは、
大変汚れていたようですが最近川の清掃をしたようです。
このガンジス川は、火葬された灰を流したりしていますが、インド人は聖なる川として沐浴に利用
しています。


クシーナガラ

クシーナガラの大涅槃寺にある釈迦の「涅槃像」は、5世紀のもので、
1876年に河床から発掘されたものである。
ここは釈尊が涅槃に入った場所である。

クシーナガラの涅槃像(大涅槃寺)


後戻りできぬ行者の道 内海雄哉大阿奢闍梨

---二度目の千日回峰行を満行されたのが1987年で、もう十数年前ものこと。振り返って、
第一歩を踏出すまでにも様々な事があった…

「今思えば何もかも夢のよう、勉強嫌い、社会の落ちこぼれの私がここまでこられたのは、
よき師、よき仏縁に恵まれたおかげ。最初の出会いのころ無動寺谷弁天堂の輪番だった
小林隆彰師(前比叡山延暦寺執行)は“仏道への導きの師”。39歳で得度のときは戎師も。
霊山院の小僧時代に仕え、雄哉の名をいただいた小寺文頴師は“学問の師”。そしてこの
飯室谷で20年間、師事した箱崎文応師は行動の厳しさを教わった“行の師”でした。」

---回峰行を始められたのも記録的に遅かった…。

「最初の出峰は1975年4月7日。49歳という年齢はちょっと例がない。その日は箱崎師の
誕生日でしたが、失った妻の17回忌の日でもあり、因縁を観じました。」

【千日回峰行の始祖は、9世紀の半ば第三世天台座主・慈覚大師円仁の弟子、相応
和尚(かしょう)で、延暦寺根本中堂の薬師如来から「礼拝苦行こそ真の法、それを行満した時
不動明王となり、一切の災いが取り除かれる」との夢告を受け、天台の教え「山川草木悉
有仏性」の実践でもある苦修練行に入ったのが始まりという。籠山12年間のうち7年間を、
3年目までは毎年百日、4,5年目は各二百日、1日30〜40キロの定められたコースを諸仏、
先師の墓などを礼拝しながら歩き、計700日を成就して堂入り。6年目は京都の赤山禅院
往復一日約五十キロを100日、7年目は前半百日を一日約84キロの「京都大廻り」、後半
百日を一日約30キロを行歩して満行する。】

---“生きたままの葬式”といわれる堂入りでは臨死体験も…。

「それ以前にも、常行三昧というきつい行を経験していたが、堂入りの九日間は食事、水、
睡眠を絶ち、横になることもできない。途中で息絶えることも覚悟のうえ。五日目から一日
一度、水で口をすすげる。一滴も飲めないが、舌に残った水の甘味。水がどんなに大切か
よく分かる。衰弱するにつれ逆に頭は冴えて、何でもよく見え、よく聞こえる。最後には死
臭さえ漂う…。」

---それほどまでの苦行を高齢でよく成就された。

「この行は一度始めると、途中で止めたり後戻りは絶対にできない。箱崎師は「行者の道は
進しかない。今歩いている道。それが行者の墓場だ」と言われた。学問は駄目でも、歩き
ならできると、この行道に入って学んだ事は、持続することの大切さ。これは何事にも言える。
皆さんの仕事も一つの行。「一日一生」の思いで真剣に取り組み、続けることです。」

---1日一生とは…

「山の中を1日40キロほどぐるぐる巡る。激しい起伏を上がったり下がったり。それは浮きつ
沈みつの人生そのもの。山を歩いている間は生、戻って草鞋を脱いで仏様にごあいさつして
今日の生の世界が終わる。きょうの自分はあすの自分ではない。あすは生まれ変わって新
しい自分で出発する。だから一日一生」

---行者の喜びは…・
「堂入りを終えると、自分のための「自利行」から、生きた不動明王としての「利他行」に変わる。
京都大回りなどで沿道で待ち受けてくださる人々の頭に数珠で触れ、お加持をして功徳を
分つのですが、小さな子供も「阿奢闍梨さんお願いします」と頭を下げる。こんな幼な子にも
信心が根付いているのかと胸が熱くなる。よい伝統が残っているんだと…」

---大阿者闍梨として今の世にもの申されるなら…

「戦後五十年余、日本古来の長所まで一緒に破壊した結果が今の混乱。五十年の病気を
治すには百年かかる。心配です。」

“行者中の行者”--比叡山大阿奢闍梨・酒井雄哉師を大津市坂本町飯室谷に尋ね聞く。
史上わずか三人という二千日回峰満行の偉業を成就したひとであります。他にも十万枚
大護摩供の荒行達成、仏教の聖地・天台山など中国始め、国内はもとより各地巡礼、
行脚と行道にうちこむ“生涯行者”の姿には頭が下がります。


 

■出版物の販売(博物館・筆者発想のみの特別価格)1.『竹取物語 現代考』


1.『竹取物語 現代考』小泉芳孝著
    定価6000円+税→博物館特価4000円(税込)
A5版 447ページ 

 この本は、20数年前から研究してきた「竹取物語の舞台が京田辺」であるという説に基づいたもので、
今までの翁の名前が「さるき」を「さぬき」として讃岐神社としているのを全面的に否定している。それは、
現存最古の天理大学の『竹取物語』に「さかきのみやつこ」が記されていてそれを採用している。また、
何故京田辺なのかを内外の例を挙げて詳細に解説している。

 その他の特色としては、旧仮名遣いの原文で読みにくく判りにくいので、原文に多くの漢字を採用して読
み仮名をつけて判りやすくしている。さらに、原文の判りにくい用語については、注釈をを入れ、解説文も
入れている。


『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き
   
はじめに
 
 『竹取物語』は、平安時代初期貞観後半(八六九)から延喜前半(九〇五)の九世紀末に出来たもので、現存する限り日本最古の純物語文学作品とされている。平安時代の日本は、中国の洛陽や長安をモデルに國と文化を形成していった。
 その中には文学も含まれ、遣唐使や遣使らにより中国の文学が日本に輸入されてきたと考えられる。『源氏物語』の中でも「物語の出で来き始めの祖おやなる竹取の翁」と記されており、紫式部の時代から同様の認識があった。『竹取物語』は、作者不詳、題名不詳の物語であるが、当初「竹取の翁の物語」などと略して『竹取物語』と呼ばれるようになっていった。
 平仮名で書かれた最初期の文学でもあるが、初めは漢文(片仮名交じりの宣明体)で書かれていたものが、書き直されたのではないかとされている。
 これまで、『竹取物語』の研究や考察は、実に多岐の分野にわたっている。国文学者をはじめ歴史学者や民俗学者それに児童文学者さらに作家にいたるまで、物語についての考究、発言が国内外で行われている。それは『竹取物語』が、内外の貴族批判・超能力・怪奇現象、異国趣味、求婚活動など、世間に古くから伝わっていた話や伝承を取り入れるなど、物語として引き込まれる要素があり、現在の私達にも通ずるものが多く光り輝いているからだと思われる。
 そして、現在では中学校の国語の教科書にも収録されており、古典文学に関心のない人でも「今は昔、竹取の翁といふものありけり…」で始まる物語の冒頭は記憶にあるのではないだろうか。このように物語の成立から現在に至るまで『竹取物語』は、絵本、現代語訳、児童書などの多様な形式で長い間つづけてきた。
 『竹取物語』は、致富長者説話、求婚難題説話、昇天説話、羽衣説話、地名起源説話、仏生説話が取り込まれていることに特色が有り日本最初の小説と言われる文学作品である。この本は、各地の伝説や物語の持つ特色など、あらゆる分野から解析を試みながら作者が何を表現したかったのか、また物語の中で巧みに場所を使い分けており「何処を舞台に設定したのか」などを分析しながら物語に登場する様々な項目について考察を重ねて来たのを私なりに論じてみた。
 「かぐや姫」の名が登場する最古の資料は『古事記』であり、また「大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)の女むすめ、迦かぐやひめのみこと具夜比賣命を娶めして、生みませる御子、袁耶弁王」との記載がある。また、『万葉集』巻第十六には「昔老翁ありき。號を竹取の翁と曰ひき。此の翁、季春の月にして、丘に登り遠く望むときに、忽に羹を煮る九箇の女子に値ひき」というように、「竹取の翁」の名が登場する。これらは『竹取物語』よりも成立年代が前になり、直接の関連は無いにしても、何らかの影響があるのではないかという空想が広がる。 
 『竹取物語』は、平安時代初期にできた日本最古の物語で、ある日竹取の翁が竹の中にいた光り輝く三寸余りの少女を授かり「かぐや姫」と名づけて育て成人する。そして五人の貴公子から求婚を受けるが無理難題を出して次々にしりぞけ、時の帝の求めにも応じず八月十五日の夜に月から迎えが来て昇天するという求婚・昇天説話である。
 物語の最初は、
   いまはむかし、たけとりのおきなといふものありけり。野山にまじりて、たけをとりつつ、よろづのことにつか   ひけり。名をば、さかきのみやつことなむいひける。
とある。
 
 『竹取物語』の発祥地説については論争が続いているが、私は竹取の翁がいたのは、京都府京田辺市ではないかと考え、平成三年度発行の『筒城』第三十六輯に「山城国綴喜郡山本駅と古代駅制について」の中で少し書いた。その後も研究を重ねるうち、『古事記』垂仁記に「大筒木垂根王の女、迦具夜比賣命」とあり、「大筒木垂根王」とその娘「迦具夜比賣命」が記されていて「かぐや姫」は実在の人物であったことがわかり、京田辺が『竹取物語』の舞台となった発祥地であり「かぐや姫」伝説地という結論に達した。
 研究当初は、自信なかったが、シンポジウムを開催した時に会場に来られていた日本語源研究の第一人者の吉田金彦代表から『古事記』の「大筒木垂根王」の娘「迦具夜比賣命」は、『竹取物語』のかぐや姫で「竹取物語の舞台」が京田辺であると励まして頂いた。また、パネラーになって頂いた国文学の曽根誠一教授は、大筒木垂根王の「大筒木」こそ翁の家のモデル地であった可能性が高いと『筒木』に投稿、平安京に詳しい京都産業大学の井上満夫名誉教授からは、「かぐや姫を考える会」を作ったらと言う提案を頂き、考古学の権威である森浩一名誉教授からは、「京田辺は『竹取物語』が熟成した場所として自信を持っていい」と京都新聞社主催の基調講演で、竹取物語のルーツとして「京田辺市は自信を持って『かぐや姫の里』と言っても何ら学問的に不思議はない。この地に竹の文化を持ち込んだ隼人達の伝承が原型となって、後に一つの文学に集約されたのではないか。」と述べて応援して頂いた。
 また、京都府立大学長で文献学の第一人者の故門脇禎二名誉教授からは、山代の筒木は、神功皇后や仁徳天皇それに継体天皇などが居住していて大筒木垂根王や大筒木真若王それに迦邇米雷王の時代に「迦具夜比賣命」がいて実在の皇后であると後援会で発表された。その後に、私の著書『稲作民俗の源流―日本・インドネシア―』を読まれて「貴方の研究は地域に出向き調べられて発表されており脱帽です!」という手紙を頂いた。この他にも沢山の先生方や友人らの励ましの言葉や応援があってここまで続けられたのである。
 その後、私は、会社の定年を迎えて再度出版に取り組もうと目次を考えるが体調不良と老眼も進み集中力もなくなり進まなかった。しかし、地元を始め全国紙の新聞社や雑誌『エプタ』Vol.23「日本昔話の世界」で、かぐや姫発祥地としてトップで取り上げられ励まして下さり、私が生きている内に完成させなければ消滅してしまうと思いまとめたのがこの本である。 
中身は、京田辺説を中心に様々な分野から解説しており、物語に親しんで頂けるよう原文と注釈それに現代語訳を挿入して楽しく読めるように工夫した。作者像については、当初、紀長谷雄のみを考えていたが最近空海説に出会えて急遽追加する事にした。また、読者によっては、最初から読まなくても判るように工夫したので同じ内容が時々出ているがお許し頂きたい。この他、少しでも皆さんに古典に親しんで頂けるよう各所で工夫しており、読者の皆様に新発見や何かの役に立てたならば幸いである。文中第七章の「インドネシアの民話」部分では、中口ひとみ氏に御協力頂き、「中国の『後漢書』『華陽國志』『群書礼記』から」は、私が中国で入手した漢文の翻訳もお世話になった。物語の原文等や校正については、古川・臼井両氏と出版社のに、作者像については、青井・川野氏にお手伝い頂き、さらに、影で支えて下さったり、色々と励まして頂いた皆様があってこそ完成したのであり感謝にたえません。この紙面を借りてお世話になった皆様にお礼申し上げます。
       
   平成二十四年一月   芳泉庵にて 小泉芳孝
  
凡 例
            
一、本書に挿入した原文は、『最新国文解釈叢書・竹取物語』山岸徳平・田口庸一著(株)法文社(昭和二十  九年三月一日初版発行)の原文を元に、漢字を多数入れて振り仮名と送り仮名を付け加えて意味がわか  りやすいように工夫した。  (本編での原文引用は、なるべく上記本のままとした。)
一、原文の上記本は、古本と言われる正保三年(一六四六)刊本を底本とし、校本には新井信之の『竹取物   語の研究』、古典文庫、群書類従及び山岸文庫本を使用しており、これを基本に作成。現代語訳は、出来  るだけ直訳を心がけ作成している。
一、古典文学に少しでも親しんで頂けるよう「原文の読み」については、平安初期の発音を反映する表記とす   るために歴史的仮名遣いにしたがった。この為、意味が通じなくなるので「濁点」を付し「漢字」を多く取り   入れた。漢字は現代当用漢字に努め平安文学に親しめるよう振り仮名を付したが慣用に反するものや    例外もある。
一、文章の区切りは、中身を判りやすくするために細かくして、話し言葉に括弧を追加して読みやすくした。ま   た、場面が大きく転回するごとに内容を要約した見出しを付け、原文の後に「注釈」として「※」印を付して   記入し、さらに、現代語訳と解説をつけた。特に解説が必要ないと思われる所は、省いて後にまとめて挿入   した。解説については、本文と少し重なる所も見られるがなるべく同じ文章にならないよう工夫した。

 一、「※」印の注釈は、なるべく簡単に表示し、「竹取物語高松宮蔵」(新典社版原典シリーズ六編者 片桐洋 一)等を参考にさせて頂いた。
 一、本書は、先輩諸家の注釈・現代語訳・研究に負って成ったものである。謹んで謝しお礼申し上げます。

はじめに
 目次 『竹取物語 現代考』
        原文・注釈・現代語訳・解説付き
はじめに
凡例
          
第一章竹取物語の構造と成立
 
  一、『竹取物語』のあらすじ
  二、構造と成立について 
     物語と古伝承/構造と成立/構成と古伝承・説話/竹取物語の元のかたち 
     (『今昔物語集』『万葉集』『遊仙窟』『風土記』『海道記』など)
  三、『竹取物語』の原型 
     (竹中生誕説話・化生説話・致富長者説話) 

  「原文・はじめに」?本文?(原文・注釈・現代語訳・解説)
    (1)かぐや姫の誕生  
      @かぐや姫の誕生
    (2)かぐや姫の生い立ち
      Aかぐや姫の成長 
      B竹取翁の富裕長者

  四、竹取翁とかぐや姫は誰か 
    (『古事記』『海道記』『源氏物語』など)
      竹取の翁像/かぐや姫の姿 / 『古事記』と『日本書紀』の記載
第二章竹取物語の発祥地説について―地名起源説話から―     
     日本・中国・インドネシアの竹文化圏に良く似た「竹誕生」
  一、はじめに 
  二、迦具夜比賣命の大筒木(京田辺市)の発祥地説 
      『竹取物語』の舞台は京田辺/朱智神社と息長氏/継体天皇の筒城と磐之媛の筒木
  三、奈良県広陵町の発祥地説 
  四、富士市の発祥地説
  五、中国の発祥地説 
  六、その他の発祥地説 
     原型を探す試み/西方の月女神/隠匿された都/万葉の竹取の翁/斎王説
  七、「かぐや姫サミット」の七市町村 
    @静岡県富士市 
    A奈良県広陵町 
    B京都府向日市
    C香川県長尾町  
    D岡山県真備町 
    E広島県竹原市
    F鹿児島県宮之城町

第三章『竹取物語』の舞台は筒木(京田辺市)
  一、大筒木の地名と竹 
     山代の筒木(綴喜)地名/息長山普賢寺の竹送り
  二、「竹取の翁」の家は、「山本」の近く 
     古代駅制「山本驛」/佐賀冠者跡/大友皇子が縊死した「山前」/天女伝説地「鶴澤の池」
  三、翁の人物像から見た発祥地説 
     @「さるきの造」讃岐説 
        讃岐神社の広陵町 
     A「さかきの造」筒木説 
     (古本) 
       翁の名は名「さかき」/翁は、駅長・太夫か 
     B「讃岐の造」と「筒木」(綴喜)説  
       舞台は大和/讃岐と筒木 
     C富士市に登場する翁像
  四、かぐや姫は『古事記』の「迦具夜比賣命」    
     『古事記』の「迦具夜比賣命」/『普賢寺之遺跡』に「大筒木垂根王」の墳/
     『万葉集』『古事記』『日本書紀』の見方
  五、「かぐや姫」は「光り輝く」「火の神」 
     人物像/かぐや姫の罪/コノハナサクヤ姫

第四章『竹取物語』の五人の求婚者は実在人物(求婚難題説話) 
   一、五人は「壬申の乱」の功労者 
    本文(原文・注釈・現代語訳・解説)
     (3)妻問い 
      C貴公子たちの妻問い 
      D熱心な求婚 
      E翁のくどきと姫の条件
      F貴公子に示された難題
         キトラ古墳の被葬者「阿倍御主人」/高松塚古墳の被葬者「石上麻呂」/ 
         さまざまな被葬者論について/石上麻呂という人物

第五章かぐや姫が出した「難題」と帝の「求婚」 
   一、求婚者への「難題」(求婚難題説話) 本文(原文・注釈・現代語訳・解説)
    (4)貴公子たちの求婚 
      @石作皇子には「仏の御石の鉢」 
        G石作皇子と仏の御石の鉢 
      A車持皇子には「蓬莱の玉の枝」  
        H車持皇子と蓬莱の玉の枝 
        Iにせの玉の枝を持ち参上 
        J皇子の冒険作り話 
        K蓬莱山を発見 
        L玉の枝を持参 
        M匠の暴露と訴状 
        N姫の勝利と皇子の蒸発 
      B左大臣阿倍御主人には「火鼠の裘」 
        O阿倍御主人と火鼠の裘 
        P商人に騙されるお人好し 
        Qにせの火鼠の裘 
        Rかぐや姫、燃えない証拠をせまる 
        S燃え上がる裘
      C大納言大伴御行には「龍の首の玉」
        大伴御行と龍の首の玉 
        夢見る大納言と、家来たち 
        玉の捕獲に乗り出す大納言 
        荒れる海と雷鳴 
        明石に漂着した大納言 
        かぐや姫を人殺しと喚く 
      D中納言石上麻呂足には「燕の子安の貝」 
        石上麻呂足と燕の子安の貝 
        作戦の失敗と智恵者官人の出現 
        智恵者官人の極意皆伝 
        貝をつかんだ中納言の籠が墜落 
        燕の糞を握り気絶する中納言 
        死んだ中納言をあわれむ かぐや姫
         『今昔物語集』と『竹取説話』の求婚難題譚比較/貨幣として使われた宝貝/
         中国?王国の青銅器「貯貝器」

二、帝の「求婚」(帝求婚説話) 本文(原文・注釈・現代語訳・解説)
    (5)御狩の行幸・帝の求婚 (求婚説話) 
      33 帝の御使いに背 く
      34 献上なら翁に五位授ける 
      35 宮仕えなら死ぬと申す
      36 帝の御狩り行幸 
      37 姫に情を込めて御文通

第六章 かぐや姫の昇天と不死の山(羽衣昇天説話・地名起源説話) 本文?(原文・注釈・現代語訳・解説)
    (6)かぐや姫の昇天  
      38 月を見てかぐや姫の告白 
      39 八月十五日に月から迎え 
      40 竹取翁の家に武官二千人
      41 かぐや姫お別れの挨拶 
      42 月からの使者 
      43 かぐや姫の罪を告白 
      44 不死の薬と天の羽衣
      45 帝の手紙とかぐや姫の昇天
    (7)不死の山と煙 
      46 不死の薬と駿河の不死の山    
     (本文、おわり)                 

第七章天孫降臨と竹民族の源流考 
   一、日本の羽衣天女伝説地(羽衣説話)  
      「三保の松原」の羽衣伝説/余呉湖の羽衣伝説/「奈具の社」の羽衣伝説/  
      鳥取県中部に伝わる羽衣伝説/沖縄県宜野湾市真志喜の「天人女房」
   二、日本の七夕伝説地   
      交野が原
   三、『竹取物語』の仏生説話   
      求婚者の難題物/昇天の「阿弥陀来迎図」
   四、日本神話と先住民族「隼人」の天孫降臨神話   
      熊襲と隼人/「隼人」の文化/「隼人」の天孫降臨神話/甘南備山の月信仰/九州隼人の月信仰
   五、「大住隼人」などの隼人舞 
     復活奉納した隼人舞/能楽五座のうち四座は、京田辺発祥地
   六、不老不死の神仙思想   
       飯岡トヅカ古墳出土の青銅鏡 ―絵柄に不老長寿薬と飛天の歌舞― 
         @不老長寿薬と飛天の歌舞を描く 
         A不老不死の長寿薬と車馬を描いた「神人車馬画像鏡」 
         B飛天と天女の歌舞を描いた「神人歌舞画像鏡」 
         C西王母と神獣を描いた「変形一神四獣鏡」
       中国古代の神仙世界 
          崑崙山に棲む西王母/西王母の不死薬/中国の月現象  
       月の都は不老不死 
          月と地上界との死生観/天女の不死薬と姫の手紙
   七、竹の特性と神秘性    
       竹の霊力と特異性/『竹取物語』に見る霊力や呪力/竹と月の霊力/神の依代/
       物語での竹利用 /竹の豊穣・結界・繁栄/竹の効能と特性/文化遺産と  しての竹製品

第八章類似する海外の『竹取物語』 ―インドネシア・中国―
   一、インドネシアの民話 
     @「パクリの領主(竹の王子と娘)」スラウェシ 
     A「竹薮の姫」東カリマンタン 
     B「ジャカ・タルブ(タルブ村の天女)」中部ジャワ 
     C「シアウ島の首長ビキビキ」シアウ島  
     D「天国の王女と結婚したみなし子」中部スラウェシ 
     E「ママヌアとウラセンドウ」 
   二、中国の『後漢書』『華陽國志』『群書礼記』から 
     @『後漢書』西南夷・夜郎傳 
     A『華陽國志』  
     B『群書礼記』 
   三、中国カム地方の「斑竹姑娘」(バンチュウクーニャン) 
     @「斑竹姑娘」の概要 
     A求婚難題譚の比較

第九章日本人の手になる『竹取物語』 
  一、かぐや姫 
    出生の秘密を打ちあける 
  二、天女の「飛天像」と神仙の「不死薬」 
     飛天は、天上と地上を飛翔する「使い」/飛天像の変遷と神仙の西王母/
     富士市の竹取伝説と羽衣伝説/『万葉集』の竹取の翁と天女 /「月」と「地上」の経過速度 /
     『竹取物語』は、月から迎えがきて昇天/朱智神社本殿から飛天像発見
  三、不死の山は何処か(昇天説話)  
     駿河の「不死(不老長寿)の山」/天孫降臨の甘南備山/都に近い平安京の南基点「甘南備山」
  四、『竹取物語』京田辺説の根拠

第十章竹取の作者は誰で、成立年代は何時か  
  一、竹取物語の文学性と文体について  
  二、作者の諸説について   
     源隆国説/源順説/源融説/森浩一・塚口義信の隼人説
  三、紀氏系豪族説  
      紀長谷雄説  
  四、空海諸説
      雨海博洋説 
  五、空海説 
     @遣唐使でインド直伝の密教学ぶ  
     A空海説の根拠 
      大和国十市の山寺「佛の御石の鉢」/久米仙人の神仙思想/湯浴の開湯伝説「蓬莱の玉の枝」/      大伴御行の「龍の首の玉」
     B空海は文学者・書家・教育者  
       空海の実績/空海の観音信仰と罪の祓え/空海の密教と『竹取物語』/仏教と神道の死後観/       嵯峨帝の平安時代も舞台/真言密教儀礼と「不死の薬」「姫の誕生」/
       空海の神仙道と不老不死/空海が果たした最大の成果
     C作者は、弘法大師(空海)か  
        空海とユダヤ教 
おわりに  
参考文献
「竹取物語の舞台が京田辺市」に賛同頂いている先生の紹介

おわりに から

 この日本初の小説でもある竹取物語をさまざまな角度から論述してみた。しかし、究極のところ、作者は
この物語で何を伝えたかったのか を考察する必要がある。二十年間にあたり、『竹取物語』の里(舞台)は
京田辺ではないかと考えて調査研究したのであるが、今ようやく 現段階でまとめて、ふと振り返ってみた
ところ、作者はこの物語で何を伝えたかったのかを考えてみた。
 私は今まで人間愛の場面が次々と展開するので、それらのストーリーに惑わされて、じっくり見つめる
ことができなかった。私は妻を亡く して四年たってみたときに、かぐや姫とは「自分の妻のことを書きたくて
作者が筆をとった・・・」のではないかと思われるのである。
 たしかに翁はおじいさんであり、子供がいないために突然幼児が竹の空洞から授かり大事に育てる。
しかし十五夜の満月の日に月から迎 えがきて去ってしまう。主人公はかぐや姫であり、翁は物語を展開さす
脇役である。ならばかぐや姫は「何者ぞ?」と考えたときに夫にと って一番大切なのは「パートナー」であり
「妻」であり、その妻そのものが「かぐや姫」と考えられるのである。 
 物語の中では翁夫妻の幼児として育てる。しかし「かぐや姫」のみを考えた場合は、最愛の妻である
べきなのである。
 夫婦はどちらかがいつかは死別する。その妻が先にあの世に旅だったさまを「極楽浄土図」のごとく
天女とともに飛車に乗って月(あの世)へ帰っていく。そしてあの世(月)の不老不死の世界でいつまでも
輝いていてくれるように仏の慈悲が描かれているのである。本来なら天女伝説のように子供を産み、その後
羽衣を見つけて帰って行くのであるがあえて『竹取物語』の作者はその方法をとらずに誰とも結婚しなかった。
これについては何故なのか未だに誰も理由がわからず「月で罪をおかしたから」と一言あるだけである。この
あたりは作者の腕の見せ所と考えられる。
私はこの「竹取物語 現代考」を亡き妻の墓前にかかげるために数十年にわたり研究し続けてきたのでは
ないかと、今思えるのである。

 


■下記の2冊も含め自費出版の為に、博物館での販売と「郵便振込」は特別価格で販売。

『郵便振込』 講座番号 00920-7-40389
             加入社名 小泉芳孝
             通信欄  『本の題名』を必ず記入

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〈著者紹介〉

小泉芳孝
(こいずみ・よしたか)
1947生まれ
京都府立城南高等学校卒業
日本写真専門学校卒業
近畿大学法学部卒業
佛教大学文学部(史学科)卒業
現 職 竹取翁博物館館長
    大筒木出版代表
    学生マンション「スカイハイツ三山木」オーナー
職 歴 大阪映画(株)撮影部
   (株)京都放送(KBS京都)
所 属 城南郷土史研究会会員
諸団体 京田辺市郷土史会理事・京都地名研究会常任理事・
    京都民俗学談話会会員・京都府立山城郷土資料館会員
    などを歴任
専 攻 日本民俗学 郷土史 古代史 法律学
著 書 『稲作民俗の源流 ?日本・インドネシア-』
共 著 『京都の地名検証』『京都の地名検証2』
    『京都民俗』『筒城』ほか投稿
資 格 法学士 文学史 博物館学芸員 潜水士 PADIライセンス アマチュア無線技師 
E-mail koiy@leto.eonet.ne.jp
H P http://taketori.koiyk.com


2.『マスコミ一代記』小泉芳孝著
   定価2000円+税
博物館特価1500円(税込) 4-6版 146ページ 


 博物館の開館に合わせての2冊目は、昭和の激動期いわゆる団塊の世代に生まれた私が、映画の
世界からマスコミの放送局で仕事をすることになった一代記を綴ったもの。

 内容は、戦後の昭和22年に京都の田舎で生まれた作者が、高校を卒業して就職し高度経済成長の
激動期を生き抜いた記録集である。モノクロからカラーになりビデオや衛星中継、デジタルへと急激に
発展した時代背景を描きながら、様々な体験や出来事を振り返り綴った一代記である。

 この本は、博物館の別館Aに常設展示の「マスコミ一代記展」と合わせてお読み頂ければ、より判り
やすく昭和・平成の時代をご覧になれると思います。


テレビラジオ局員として下積み時代のコマーシャル会社から転職入社したマスコミ人の定年までの体験記
を綴った一代記である。フィルム からビデオ、中継、モノクロからカラーへ、アナログからデジタルに突入、
その中で地方マスコミ人が見た放送のメディア盛衰史である。テレビ、ラジオにわたり放送記者、カメラマン、
ディレクター、プロデューサー、進行を経験した作者が綴る、バイタリティーあふれる感動を記録した人間
ドラマを展開している。
 「はじめに」より

『マスコミ一代記』目次
目次
はじめに
第一章 下積み時代
 一、原風景
   「故郷」の世界そのままの子ども時代/勉強よりもカメラいじりに興味/映像の世界へのほのかなあこがれ
 二、合唱とカメラに夢中の高校時代
   落ちこぼれ、音楽に目覚める/合唱がくれた出会い/手に職をつけるためカメラの道へ
 三、あこがれの現場を間近に見た実習
   写真から映像へ方向転換/質を求めるプロの姿に脱帽/就職難で四苦八苦
 四、社会人としての第一歩
   現場はおおわらわ/テレビコマーシャルの力を実感/チャンスは突然舞い込んできた
 五、カメラマンの夢に向けて転職
   就職試験代わりの面接/チャンスをつかんでステップアップ/テレビマン人生の始まり
第二章 プロカメラマン時代
 一、現場は遠い、見習い期間
   肩書きは報送記者/サブデスク業務/ようやく人並みの仕事ぶりに二、報道部のウラ話火の見櫓
   代わりの電話番/夜討ち朝駆けで記
   者クラブ詰め/めくりの局長
 三、ついたあだ名は「ポラロイドの主」
   取材のお伴はゼンマイ式の従軍カメラ/ついたあだ名は「ポラロイドの主」/下積みだからこそ学べること
 四、良い映像のためなら命がけ
   カメラマン魂に火をつけた爆発事故/心身ともに仕事に捧げる生活/何があってもカメラは死守
 五、激動の一九七〇年代
   学生運動取材での失敗/世界への目を開かせてくれた万博/想い出の『京都の恋』
 六、取材つれづれ 随行取材から選挙取材まで
   蜷川府政の分かれ目となった選挙報道/野中広務と同席した「京都婦人の船」/国交再開前の
   中国を取材
 七、念願の自主制作映画を作成
   水中撮影のため、スキューバダイビングに挑戦/自主制作映画のためにトラック島まで撮影旅行/
   趣味を仕事に生かしてできたこと
 八、新婚旅行でかなえた夢の世界一周
   人生の伴侶との出会い/いざ、世界一周の旅へ/トラブルが深めた夫婦の絆
 九、ビッグスターを独占取材
   ビッグスターが地元の歌を!/過密スケジュールのすきまに取材/気さくなスターの素顔に感激
第三章 テレビディレクター時代
 一、変わりゆくテレビ業界
   技術革新がテレビを変える/ネット交換による大変動/京都の広域UHF局として再スタート
 二、打たないのに競馬中継担当に
   スポーツ三昧のディレクター業務/「勉強」のため、馬券購入/「打つ」より「食う」が楽しい競馬場
 三、「ミステリーの女王」との事件取材
   「タイムリー10」カメラマンに/未解決事件を追って/体は辛いが気持ちは充実
 四、市民に密着したテレビ局として
   チャリティー番組のさきがけ/驚きの成果を生んだ二つの番組/地方テレビ局の意義を考える
 五、意外なところで映画にかかわる仕事が実現
   八ミリ作家を応援/ヒッチコックを探して/助っ人は『エマニエル夫人』
 六、二足のわらじ生活
   とった資格は数知れず/もう一度学生に/周りの人のおかげで無事卒業
第四章 進行APC時代
 一、変化のきっかけを生んだ人事異動
   プログラムディレクターとして出発/現場を離れて管理部門へ/思いがけないプレゼント
 二、新たな学びへの意欲
   最新技術に百万円の投資/新たな興味への扉となった宮座行事/恩師の言葉を励みに卒論に取り組む
 三、卒業論文で四苦八苦
   スタートは問題山積/調査に資料集めに、東奔西走/人生の目標を見つけた大学生活
 四、京都のよさを再認識
   京都だからこそとれたスクープ/京都が伝える茶道の魅力/京都で知る日本人の心
 五、KBSを襲う波
   経営悪化のきっかけとなったイトマン事件/再建のために立ち上がる社員たち/
   市民、 地元の協力を得て再生
第五章 ラジオディレクター時代から定年まで
 一、趣味を仕事に仕事を趣味に
   ラジオへ転身/趣味を生かして出演依頼/新番組は難しい
 二、ラジオの力を実感
   テレビとラジオの違い/入館者アップに貢献/地震でラジオの力を再認識
 三、人生の折り返し地点
   再び古巣へ/プロデューサーに昇格/妻の病と自らの入院
 四、定年間際の休職
   無念の休職/東北旅行で鬱を克服/復帰を果たせず定年に
 五、第二の人生のスタート
   テレビマンからマンション経営者へ/世界をめぐって東へ西へ/博物館建設から次なる夢へ
あとがき
KBS京都放送の概要
経歴


3.『京田辺の歴史散歩』小泉芳孝著
    定価4000円→博物館特価3000円(税込)
B5版 306ページ
   (B5版の為郵送料500円ご負担下さい)郵便振込のみ合計3500円。       

 十数年前から京田辺市郷土史会の『筒城』に連載していたものを一冊の本に仕上げる為に最後の「草内
・東村」編を加え、他も新たに加筆して京田辺市の全てを完成させたものです。
 これは、竹取翁博物館へ来て頂いた人達に散策のルートマップとなるように詳細な地図を入れ、地元
郷土史家や社寺の協力をえて写真を豊富に入れ込み完成したものです。
 内容は、地域に伝わる民俗の伝承や発掘で見つかったもの、それに文献で記された古文書等を分析した
ものなど考古学、歴史地理学、文献学等の分野から詳細に書き記した郷土史である。
 博物館では、一休さんや継体天皇、第一回特別展「竹取の作者は空海か」と合わせてお読み頂ければ
より判りやすく理解出来る資料である。


目 次
はじめに
第一章 三山木北部周辺 ”歴史散歩コース”    
三山木北部周辺 ”歴史散歩コース”順路    初出―筒城       
 一.京田辺市「三山木」の地名起源について             
 二.京田辺市「山本」の概観              
    山本は環濠集落/官用交通の山本驛/『竹取物語』の舞台は、京田辺/、山本の寺院「寿宝寺」/
    山本の氏神「延喜式内佐牙神社
 三.山本の寺院
@寿宝寺
沿革/神仏習合/十一面千手観音立像/十一面千手観音の心/寿宝寺の宝物
A五大明王
講演「寿宝寺五大明王像について」小野寺久幸/明王/不動明王/降三世明王/軍荼利明王/
                    大威徳明王/金剛夜叉明王/愛染明王/孔雀
B佐牙神社御旅所の「百味と湯立て」
四、山本の自然
  はじめに 
@ 山本の地形 A山本の民家
B山本の湧き井戸 C山本周辺の用水路と魚達             
五.山本の民俗
  @農具の変遷と今昔  
農具/水稲栽培の今昔
A祭祀
家庭祭祀の色々/神棚について/台所の三方荒神/ 火よけ・火伏せの神「愛宕」B林憲三先生との出逢い   

六、飯岡の史跡
@飯岡の七井戸       
A飯岡トヅカ出土の「神人車馬画像鏡」               
七、高木・二叉の史跡
@新島襄ゆかりの「南山義塾跡」石碑
A同志社京田辺キャンパスの主な歴史
A 円面硯・斎串と翡翠製の勾玉
「三山木遺跡第四次現地説明会から」
                  
第二章『竹取物語』発祥の地は”京田辺”その一
  はじめに
  一、翁は「山本驛」の駅長か太夫
二、竹取翁の名は「さかきのみやつこ」
三、「かぐや姫」と『古事記』の「迦具夜比売命」
四、「かぐや姫」は「光り輝く」「火の神」
五、『竹取物語』の五人の求婚者は実在人物
六、「大住」と「甘南備山」は、天女伝説地か
おわりに
     
第三章『竹取物語』発祥の地は”京田辺”その二
  一、「竹取翁」の家は、「山もと」の近く
  二、「竹取翁」の名は、「さかき」で「さか」は酒
  三、『竹取物語』の作者は誰か
 四、竹の筒には、霊力、呪力ひそむ
  五、五人の求婚者への難題物
    @かぐや姫が出した求婚者への難題
      佛の御石の鉢/蓬莱の玉の枝/火鼠の皮衣/龍の頸の玉/燕の子安貝
  六、「大住隼人」の呪術と竹細工
  七、「不死の山」は「甘南備山」
  八、『竹取物語』の舞台は京田辺
 
第四章『竹取物語』発祥の地は”京田辺”その三
  はじめに
  一、飯岡トヅカ出土鏡は、不老長寿と歌舞を描く
   @不老不死の長寿薬と車馬を描いた「神人車馬画像鏡」
   A飛天と天女を描いた「神人歌舞画像鏡」
   B西王母と神獣を描いた「変形一神四獣鏡」 
  二、神仙の「西王母信仰」と不死の薬
  三、『竹取物語』の月現象と再生信仰
  四、月の都は不老不死、地上界は異常成長
  五、「不死の山」は、都に近い筒木「甘南備山」
おわりに

第五章 三山木南部より普賢寺 ”歴史散歩コース”
    三山木南部より普賢寺 ”歴史散歩コース”順路図
 一、山崎の史跡
 二、宮津の史跡
    @江津 A宮ノ口
 三、普賢寺の史跡
    @山代 A「筒木」「筒城」「綴喜」 B普賢寺 C多々羅

第六章 竹取物語ゆかりの筒木について
はじめに
  一、継体天皇の筒城と磐之媛の筒木
  二、朱智神社と息長氏
  三、山代の地名と息長山普賢寺
  四、酒屋神社と神功皇后伝承
  五、『竹取物語』の舞台は京田辺
    @竹取翁の家は「山もと」近く
    A飯岡出土鏡は、不老不死の神仙鏡
    B【講演】山代の古代史と民族(的)文化
     ―甦った大筒木(綴喜)の王女・かぐや姫―  
    元京都府立大学学長  門脇禎二
      はじめに/T消された山代の国の現像/
      U天女に甦った”かぐや姫”/終わりに
    
第七章 水取より天王・高船・打田 ”歴史散歩コース”
水取より天王・高船・打田 ”歴史散歩コース”順路
  一、水取の史跡
  二、天王の史跡
  三、高船の史跡
  四、打田の史跡
  五、天王の地名と歴史          
  六、朱智神社の飛天と筒木の絹織物
    @朱智神社の飛天 A多々羅の絹織物 
    B『古事記』奴理能美の養蚕 C飛天像の変遷 D仏教の飛天

第八章 興戸周辺 ”歴史散歩コース”
興戸周辺”歴史散歩コース”順路
  一、興戸の史跡

第九章 松井・大住周辺 ”歴史散歩コース”
松井大住周辺”歴史散歩コース”順路
  一、松井の史跡
  二、大住の史跡
  三、大住の隼人舞と能楽
     大住隼人と隼人舞/能楽四座は、京田辺が発祥地/志賀氏の能楽発祥地説/
     『山城国隼人計帳』
  四、『竹取物語』の求婚難題説話と先住民族「隼人」
     かぐや姫の難題「燕の子安貝」/先住民族「隼人」の天孫降臨神話  
  五、南の疾風・隼人 ?隼人舞、故郷に帰る?
    @「古代隼人文化を語る」サミット
      公演・シンポジウム録から小泉芳孝の抜き書き
     
第十章 薪周辺 ”歴史散歩コース”
    薪周辺 ”歴史散歩コース”順路
  一、薪の史跡
  二、甘南備山
  三、臨済宗大徳寺派の寺「酬恩庵一休寺」
    沿革/一休寺の文化財など/一休寺の宝物/一休自筆の主な著書/主な年中行事
  四、一休宗純禅師の足跡
     誕生から修業時代/一休という号/酬恩庵を建立/森女(森持者)との出会い/
     大徳寺住職から入寂/一休禅師の教え 
                 
第十一章 田辺・河原周辺 ”歴史散歩コース”  
       田辺・河原周辺 ”歴史散歩コース”順路
  一、田辺の史跡
  二、河原の史跡
  三、棚倉孫神社の「瑞饋御輿」
    @製作方法と材料の詳細 
    A過去の御輿製作と巡行記録

第十二章 草内・東村周辺 ”歴史散歩コース”
     草内・東村 ”歴史散歩コース”順路
  一、東の史跡
  二、草内の史跡
あとがき 

                
資料
 一、『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺の活動経過
   @今までの京田辺市郷土史会の取り組みなど             
  二、『竹取物語』の「写本・復刻版・銅板・研究書籍」展示
  三、京田辺発祥地説の主な紹介記事など
    @特集「日本昔話の世界」かぐや姫発祥の地”京田辺市゛
    Aかぐや姫サミット開催地訪問「ひとり旅リポート」
    B夏休みの課題で富士市の親子が京田辺を訪問
    C『筒城』創立五十周年記念誌から(平成十七年七月発行)
    D「竹取物語の舞台が京田辺」に賛同頂いている先生の紹介>>

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「竹取翁博物館」」準備室   「大筒木出版」準備室
      小泉芳孝kyoto japan
『竹取物語』研究竹取の翁・かぐや姫yk
        私からのメッセージ!」  これからもよろしく・・ 

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     世界遺産インド」へ  「稲作民俗の源流


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